学校の歴史


歴史1 歴史2

 

1 本校の位置

 山梨県南アルプス市小笠原441番地
 東経 138度27分25秒
 北緯 35度36分26秒(ともに日本測地系による)
 標高 291m
 ・敷地面積 16,444㎡
 ・校舎面積  4,733㎡
 ・運動場  10,327㎡
 ・体育館   1,066㎡
 

2 本校の概要

 本校は,西に南アルプス山系のひとつ櫛形山を,南に富士の峰を,北に八ヶ岳連峰の山々を仰ぎ見,甲府盆地の西部に,また日本一と言われる御勅使川扇状地の南に位置する。かつては「月夜でも焼ける」と言われた旱害と水害の地である。
1873年(明治6年)3月,久成寺を借用して開校した。数々の変遷を経て今日に至っている。小笠原地区は,古くから官公庁の支所や県立高校があり,他町村より全ての道は,小笠原に通ずると言われ商業や農業の町として発展してきた。
2003年(平成15年)4月に峡西地区の6町村が合併し南アルプス市となり南アルプス市立小笠原小学校となり,山寺区と小笠原区の2地域から児童が通学している。
児童は,明るく温和で人懐こく,地域の方々や保護者も学校運営に協力的である。

3 沿革の大要

明治 6年 3月
久成寺を借用して開校する。
10月
名称を小笠原学校と定め,小笠原,山寺,平岡,曲輪田,高尾,上宮地,桃園を学区として興隆院で開校する。
7年 2月
平岡,桃園,曲輪田等分離し,各独立学校とする。
20年 4月
改正教育令により小笠原学校,桃園学校,榊学校及び曲輪田分校は合併して三菱尋常小学校と改称する。
22年10月
三菱尋常小学校を解散し小笠原学校,山寺,桃園が連合して明穂尋常小学校となる。
25年 5月
桃園区を分離し小笠原尋常小学校となる。
大正11年 3月
本校校地を小笠原441の現在地と定める。
14年 2月
東郷平八郎伯爵揮毫による校旗を樹立する。
昭和12年 5月
安達躊村揮毫「修学習業」
22年 4月
学制改革により小笠原小学校と改称する。
27年10年
校歌を制定する。
35年 2月
学校給食調理場を竣工する。
49年 3月
創立100周年記念式典を挙行する。
50年 3月
屋内運動場を竣工する。
平成 2年 3月
オープンスペースによる新校舎落成式を挙行する。
10年 5月
プール竣工する。
平成15年 4月
南アルプス市立小笠原小学校となる。
令和 4年 4月
小中一貫校南アルプス市立小笠原小学校となる。
令和 5年10月
創立150周年式典を挙行する。